年度の途中で入園申請してみた
自治体による待機児童の解消については、横浜市が待機児童数ゼロを達成したというニュースがなんとなく記憶に残っている。その程度の8が、0歳児の途中入園を画策する話。
例えば第7希望の園に入ってるような子が何十人何百人いたとしても、待機児童ゼロなのよね。溜息しか出ない。
復帰は1月と決めていたので(思い切って4月半ばくらいにしておけば新年度入園でいけたけれど、会社の事務員は私ひとりだったので、不在期間はなるべく短くしたかった。結果的にこれは正解。)、所謂安定期を過ぎて年度をまたいだ4月に、1度会社の所在地のP区役所に電話で問い合わせてみた。
電話口には年配の男性。途中入園の申請に必要な書類や提出時期、入園までの流れを丁寧に教えてもらえた。ただ、入園できるかどうかについては、かなり難しいとのこと。
産休に入ったら保育園の見学に回ろうと思っていたけれど、切迫早産と逆子で動きがとれず…。とりあえず出産前に、自宅近くのQ区役所へ申請書類をもらいに行く。こっちの担当課でも途中入園できるかどうかを聞いてみたかったので相談すると、そんなに心配しすぎなくて大丈夫よ〜と柔らかい表現。と言っても入園できます!ということではなくて、ダメでも待機児童園があるからね〜ということだった。
(そうかぁそういう選択肢もあるのか。それなら安心かな。Q区の方が担当課の雰囲気も穏やかで、比較的余裕がありそう。)
この後も何人かの担当者と話す機会があったけれど、人によってアドバイスの引き出しやニュアンスが違ったので、そもそも何回か相談してみるものなのかもしれない。
産後1ヶ月を過ぎて、第1第2希望の園を見学。役所では、他にも希望を出しておいて、入れたところで転園願いを出すのもアリですよ〜。4月入園の審査時には、同条件で審査されますよ〜。という提案もしてもらったけど、通うのに不便なところまで希望してもしょうがないかと、ふたつに絞った。
(どちらの園でも、現時点で定員はいっぱいだと言われたし、待機園行きになるんだろうなぁ。でも4月までの辛抱だ。)
そして途中入園の可否を決める審査日、申込書を出していたQ区役所から電話があった。
「希望の保育園には入園ができません。待機園への入園を申し込みますか?ただ、待機園もいっぱいなので、入れるかはわかりません」
ぅおーい。
待機園あるから大丈夫☆って言ってたのは誰だー。
P区の待機園がいっぱいなのは最初の電話で聞いてたけど、Q区もいっぱいとか。うーわー直接電話して確認しとけばよかった。
いろんなことが走馬灯のように駆け巡りつつ、電話口の人にそのまま「待機園ダメだったらどうしましょう…」と聞いてみた。相手はいままで話したQ区役所の担当者の中でいちばん発言が慎重な方で、だいぶ無理めな空気で小規模園への問い合わせと無認可園を視野に入れることを勧められた。
即、いちばん近くの小規模園に電話。12月に空きがひとつ出るけど、待機が2人いるので確実に入れるかは分からない。審査は役所がするので、書類が必要とのこと。とりあえず見学の予約を入れる。他、通えそうな小規模園は定員がいっぱいだった。
次に認証園に電話。近くの園に空きがあった。ただ、来年度も通う子のみ受け入れているという。閉園時間が残業したら間に合わない園だったので、継続して通所はできない。諦める。
職場に近い認証園であと何人か受け入れ可能と言われたので、こちらは見学を予約。
無認可園も、ワープのいらない立地のところには問い合わせてみたけれど、どこもいっぱいだった。4月は少人数で始まって、このくらいの時期にはもう空きがなくなるらしい。
確実に入れそうなのは一箇所だけ。
でも選択肢がないのが逆によかった。
結局その1週間後、役所から再度審査結果の連絡があった。最初に「申し訳ないんですが…」と言われてだめかと思ったら、待機園に入園前の面接に行って下さいということだった。なんだよ。
こうして無事、預け先を確保できたものの、途中入園は叶わなかった。
待機児童は市内で500人いるらしい。年末ジャンボ宝くじの7億円が当たったら、それを元手に保育園経営する!と言ったら夫にバカにされた。
次は4月入園の申し込み。
もう疲れたよパトラッシュ。
呪いの切迫早産
はじめてのthank you
妊娠がわかってまずはじめの壁は、いまの仕事を続けられるかどうかだった。
私の職場は、社員10名くらいと数名の職人さんで仕事をしている。事務員の私は紅一点で、あとはみんな現場に出て行くおっさn…男性ばかり。
歴代の事務員さんたちは、結婚か出産を機に退職されていて、産休取得の前例はない。そもそも事務員はひとりしかいないので、現時点で仕事を引き継げる相手もいない。はたして産休はもらえるのか。
うちの経済状況から、2馬力は必須条件。少なくともこれから10年くらいは上の子ふたりにお金がかかる。
夫から提示された、私が無収入でいられる期間は1年だった。臨月まで働けたとしても1年は短い。いまの職場に戻れないとなると産後に仕事を探すことになるわけだけど、この歳(スラムダンク世代)で資格もなく正社員の仕事に就くのは至難の技だろうし、求職中の身分で認可保育園に入れるような地域でもない。
それでもまぁ、OKが出なくてもいいかなとも思っていた。私にはもったいないくらい人に恵まれた職場だから、迷惑はかけたくなかった。
そのときはそのときで縁があるところに行きつくんだろうなぁ、せっかくだから次の職場は家に近いところで探そうっと☆なんてぼんやり考えていたら、転職したことのない夫に叱られた。夫は私以上に、私の職場の評価が高い。
かくして正月の休み明け早々に、社長に妊娠の報告と、仕事を続けたい旨を伝えた。
そのしばらくあとで、産休育休の間は代替の人を雇うということでOKをいただいた。
やったー
そして結果的にこのことが大迷惑な事態を招くことになるのでした。
が、それはまた別のおはなし。
いまさら思い至ったんだけど、保育園の間はいいとして小学校に上がったら学童保育は18時までなんよな。仕事上どうやっても18時までには迎えに行けない。かといって、1年生に3、40分かかる道のりをひとりで歩かせて挙句留守番っていうのもなんだかこわい。
所謂「小1の壁」。まさかここにきてぶつかるとは。
あと6年あるから、実情に沿った運営に変わっていることを期待しておく。
勤務時間の変更はさすがにムリだな。
6年したら、40代。
そこでまた振り出しに戻るんか。
うへえ。
3回目のコウノトリ
妊娠が分かったのはクリスマスを過ぎた年の瀬のことだった。
3人目がほしくて、ぬるく妊活を始めたのが春先。
そのあいだに何回も赤ちゃんできた詐欺を繰り返していたため(すべて空振り)、家族はどいつもこいつも信じてくれなかった。
8「妊娠検査薬で陽性の線が出たよおめでとうございます」
夫「自分で線書いた?」
8「病院行ったよ赤ちゃんできてたよ」
長女「……ハァ?」
長男「え!!ほんとに赤ちゃんできてたのまじか!」
超絶反抗期の長女は致し方ないとして、序盤からこの信用のなさ。
しかし赤ちゃんできた詐欺にいちばん心が荒んでいたのは当の詐欺師本人で、狼なんていないと絶望した矢先であった。
妊娠確定翌々日、うちに新車がやってきた。
なにこのタイミングこわい。
こ、これからお金が水のように使われていくというのに。
ノーモア見切り発車。
ノーモア大型消費財。
今回はきれいでごはんが美味しいと評判の個人医院で産みたいのだから!
もう総合病院で塩分制限されてまっ白な献立とか夜食にジャムマーガリンのコッペパンとか勘弁な!
この数ヶ月後、屋根に太陽光パネル載っけてオール電化にリフォームという目も当てられない暴挙が待っていることを、まだ私は知らない。
つづく